全 能 感
映画「サマーウォーズ」を観終わってから数日後
"・・・そう言えば人工知能に知識欲を与えることが何故世界を破滅へ導くのだろう?"
と ふと疑問に思いました
今も制作者が意図したであろう明確な答えは把握出来ていないことを
正直に言わざるを得ないのですが
これを考えているときに 僕は2つのエピソードを思い出しました
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1つ目は かつて参加した とあるネット上での議論の場です
途中から霊的発言をする風変わりな人が現れて
その人の発言数と場の歪みが正比例していったのですが
それは何も皆でその人を締め出したつもりは全くなく
むしろ発言にはちゃんとレスを返していたんです
でもその人は他者の発言を全くもって尊重する傾聴のケの字もなく
どこかで聞きかじった引用句と不可解な持論をミックスさせて
ただただ言いたいことを述べるに留まり続けていたので
日に日に参加者が減り
最終的には議論する相手がいなくなり
ひとりでコメントを連投し続けるに至ったのです
他の人はみなスルーしてやり過ごしていたようだったのですが
僕はその人が
議論する相手が居なくなった=論破した
と言っていることがどうしても許せなくて
"これで最後です"という言葉と共に異議を申し立てました
その人には僕が論破されてやっかみを持っているようにしか写らなかったようですが
続くように"論破なんてされていない"というコメントをする人が複数人現れ
それが終息すると再びその人のひとりコメントがしばらく続いたのち
本人もそれに飽きたのかそれも無くなり お開きとなりました
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2つ目は このニュース記事を読んだことです
「魔物すむ掲示板 学校裏サイト 力に酔う15歳」(YOMIURI ONLINE)
「『俺には、ほかとは違う力がある』と感じていた。全能感と言っていいかもしれない」。
中部地方の中堅都市。
かつて学校裏サイトの管理人として知られたトオル(18)(仮名)は、
ぽつりぽつりと振り返り始めた。
ある日、そんなメールに〈本人確認のため顔写真を送って〉と返信してみた。
悪ふざけのつもりだったのに、本当に送ってきた。女の子の写真だった。
「管理人の力ってスゴイ」。気持ちが高ぶるのを感じた。
こんな手口で10人ほどの少女から顔写真を送らせた後、
その中学3年の少女には、下着姿の写真を要求してみた。〈従わないなら消せない〉。
相手はためらったが、数時間後、写真を送ってきた。
「俺の命令を何でも聞くぞ」。欲望はエスカレートしていく。
〈じゃあ今度は下半身を〉〈次は全裸〉〈言うことをきかなければネットに流すぞ〉――。
「罪の意識がマヒしていた」。少年鑑別所を出て、
今は地元企業で働くトオルはネットの魔力を時々考える。
「何の能力もない自分なのに、見知らぬ人から次々と頼み事をされて、
自分が大きくなったと勘違いしてしまったのかもしれない」
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この2つのエピソードを重ねて考えてみると
なまじネットで身の丈に合わない"全 能 感"とやらを持ってしまったときに生成される
権力を手中に治めたと勘違いした時のはてしない孤独というものが
如何に怖ろしいものであるのかを考えるようになったのです
2つ目のエピソードはニュース記事で本人がコメントしているのを読む限りでは
その自覚があった あるいは 後々自覚した のいずれかのようですが
なるほど"全 能 感"が生ずる孤独を権力と履き違えたまま生きてゆけば
社会を破壊へと導く負のエネルギーが膨張し増殖してゆく危険性を孕み得ると
思わなくはないです
ネット上で背伸びしたり別人格を装ったりする行為に対して
以前はどちらかと言えば肯定的な立場でした
社会的役割というしがらみから解き放たれることで潜在能力が引き出され
やがてそれが現実の人格への成長をも促すかもしれない と
楽観的に捉えていたからです
ですが最近は 上記エピソードを経て
全否定をするまでには至らぬものの
以前よりは戒めて捉えるようになってきました
孤独が悪だと言いたいわけではないです
(本人が望もうが望むまいが)孤独が創作の糧となった芸術が
世にはたくさん存在することも知ってはいます
ただ 自ら進んで孤独の道を歩まないようにするリスクヘッジのためにも
出来るだけ多く 最低でも1人は
良き理解者に恵まれるに越したことはないと
最近強く思うようになりました
孤独に世の中をサヴァイブ出来るたくましさを身につけることと
他者から学びを得ることは全く矛盾するものではないはずです
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